【宗教】 仏教釈尊によって見出され、確かめられた真理は「ダルマ(法)」として国や民族、時代と言語を超えて教えとして世界中の人々に開かれました。日本には538年に伝承されたとされています。 【教主】 釈尊(仏陀・お釈迦さま)紀元前463年4月8日〜紀元前383年2月15日(伝承) 【宗旨】 浄土真宗本願寺派・大谷派・高田派・佛光寺派・興正派・木辺派・出雲路派・誠照寺派・三門徒派・山元派の真宗十派によって真宗教団連合が組織されています。 【宗派】 真宗大谷派真宗本廟を本山として全国30(海外・開教区をのぞく)419ヶ組、約9000ヶ寺を包括する宗教法人です。 【本山】 真宗本廟 [通称 東本願寺(京都)]1602年(慶長7年)、徳川家康によって本願寺第12代教如上人に東六条の寺地が寄進され、東本願寺が建立されました。宗祖のご命日のあわせて毎年11月21日〜28日の七昼夜、報恩講がお勤まりになります。 【宗祖】親鸞聖人
1173(承安3)年4月1日 親鸞聖人の主著であるは、顕浄土真実教行証文類正式にはといい、「教」「行」「信」「証」「真仏土」「化身土」の六巻からなります。正信念仏偈(正信偈)は、「行」巻末に所収される七言百二十句の偈文で、阿弥陀如来の仏徳と本願を信ずる教え、また、釈尊や三国七高僧の経論釈をもとに真宗の伝統がまとめられています。御文を書かれた第八代蓮如上人は正信偈・念仏・和讃を日常の勤行としました。 |
【本尊】 南無阿弥陀仏 [六字名号]絵像・木像は阿弥陀如来立像で、正式な尊形は、方便法身尊形と裏書きされています。それは「いろもなし、かたちもましまさ」ない法身である南無阿弥陀仏が、私たちにわかるような具体的な相としてあらわれた形です。そこに南無阿弥陀仏という法の具体的なはたらき(方便)があります。「木像よりはえぞう、絵像よりは名号(蓮如上人御一代記聞書)」といわれるのは、ご本尊を、絵像であるとか、木像であるとか、その材質や形にとらわれず「本当に尊いことを教え示すはたらき」としてうけとめることが大切であるからです。また、真宗のご本尊は帰命尽十方無碍光如来[十字名号]・南無不可思議光如来[九字名号]とも示されますが、この十字の名号は天親菩薩の、九字名号は曇鸞大師による南無阿弥陀仏のうけとめです。このお二人の名から宗祖は親鸞の名をいただかれています。 【経典】 浄土三部経お釈迦さまから七高僧へ伝統された正依の経典は、法然上人によって選びとられ、浄土三部経として親鸞聖人からいまこの私にまで伝えられています。 □ 仏説無量寿経[大経] 康僧鎧 訳(421年) 阿弥陀仏の四十八の誓願が説かれ、中でも十八願(本願)は念仏往生の願ともよばれ、その根本をあらわしています。そしてすべてを平等に救う法は阿弥陀の本願であり、その本願のこころを具体的にあらわすのが南無阿弥陀仏の名号であることが説かれています。 □ 仏説観無量寿経[観経]疆良耶舎 訳(422〜442年ころ) 王舎城の悲劇が説かれます。その中で、苦悩する凡夫の身をさらけだした韋提希は阿弥陀の本願に目覚めなくては生きることも死ぬこともできない人間そのものとしてあらわされます。それは阿弥陀の本願の名号によって救われるのは、苦悩する凡夫そのものであることを明らかにしています。 □ 仏説阿弥陀経[小経] 鳩摩羅什 訳(402年ころ) 苦悩する衆生(機)に本願のこころ(法)があらわれる相が説かれています。阿弥陀仏とその仏国土である極楽浄土のさまを説き、浄土に生まれる道として、ただ念仏の信をすすめ、この念仏の信心が、十方の諸仏に称讃され、護られていることが説かれています。 【七高僧】と【聖徳太子】本願の教えに出遇われた親鸞聖人が、自身にまで伝統された教えを明らかにされた代表的な七人を祖師として、正信偈にお徳を讃えておられます。「」は主著
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