1877(明治10年) 山田説教場 創設

本山(当時の大谷派本願寺:現、真宗大谷派「東本願寺」)直轄の説教場として創設。当時の法主を開基として、本山と桑名別院による輪番制を執り、詰番を置く。通称「真宗東派本願寺別院」また「伊勢神都山田別院」として三重県南勢地方を中心に広く近江(滋賀県)地方などからの仏具・什物の寄進・懇志を受け、境内地を整備。近隣の寺院・門徒から、日常的にお仏供米や永代経懇志の志納により宇治山田(現伊勢市)の教化がはじまる。

1945(昭和20年) 山田教会 設立

それまでの宗教団体法が廃止され、新たに宗教法人令が布かれることにより説教場から教会へ名称が変更。昭和5年就任の詰番が山田教会初代主管者に就任。翌年、本山直轄から一般寺院・教会扱いの願が本山より承認される。

1952(昭和27年) 宗教法人 山田教会 設立

昭和26年、宗教法人令から宗教法人法に移行されたのに従い法人申請。翌年、法人および規則が認証。

1959(昭和34年) 伊勢湾台風 被災

境内建造物に被害を受ける。本堂は損壊。

1960(昭和35年) 火災

失火により庫裡焼失。損壊の本堂を整理し、焼け残った庫裡を補修し本堂と兼用。

1974 (昭和49年)

主管者辞去。
主管代務者は南勢1組の輪番制。
新たに留守役僧着任。
昭和52年、創設100周年記念事業として門信徒の手による本堂再建が発案され、門徒大会において決定し翌年着工。

1978(昭和53年)寺報「朋光」第1号発行

1979(昭和54年) 本堂再建

1980(昭和55年)3月29・30日 本堂新築落慶法要

1983(昭和58年)「世話人会」発足

昭和58年、門信徒の代表者17名によって世話人会が発足し、門徒による「護持会」設立の発案。

1989(平成元年)「護持会」発足

1991(平成3年) 5月5・6日 書院・庫裡新築落慶法要

1992(平成4年) 教会規則変更

留守役僧が教会主管者に就任。

1997(平成9年) 梵鐘鋳造

平成7年、門徒総会にて山門と鐘楼を兼ね合わせた「鐘楼門」の建設を決定。
平成9年、滋賀県湖東町の金寿堂にて梵鐘火入式。
平成10年、主管者還浄
同年、南勢1・2組によって主管者を選任。

1999(平成11年)10月3日 鐘楼門落慶

主管者就任奉告法要・親鸞聖人御生誕八百年慶讃・蓮如上人五百回御遠忌法要を併修。

2002(平成14年) 常照寺 設立

平成12年、教会規則一部(名称)変更の要望-南勢1・2組にて協議。
平成13年、規則変更が承認され、寺号公称を臨時門徒総会にて決定。
平成14年、宗教法人常照寺および寺院規則が本山・三重県より認証。

2003(平成15年)4月27日 光明山 常照寺 寺号公称奉告法要

平成15年、本山より山号「光明山」が認可、御染筆を拝受。

 このたび[真宗大谷派山田教会」の名称を「常照寺」と変更するにあたり、私たちはあらためて当教会が、「伊勢の地に、宗祖親鸞聖人の教えを伝える道場を」という南勢1組・2組の寺院(住職、門信徒各位)の願いによって創設され、継承されてきたことを銘記しなければならない。
 顧みれば「山田教会は」明治10年(1877)現在の伊勢市宮町(伊勢国神都山田下中之郷町)に設立されたが、ときはまさに明治維新である。徳川幕府は崩壊し、近代の天皇制国家が成立するのであるが、既存の仏教の各宗派は、内からは廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・従来の神仏融合の政策を捨て、神仏を分離し、神道を立てて仏教を排斥する運動)の法難に遭い、外に向かっては欧米からの未知の思想に対峙せねばならなかった。
 このような教団(宗門)の危機的状況の中にあって、真宗仏教の法燈を掲げ教法を宣布するために、南勢1・2組の寺院は協力して現在の伊勢市に「山田説教場」、そして松阪市に「松阪説教場」が設置されたのである。因みに当時、伊勢および松阪には、その周辺を除き、真宗大谷派の道場(寺院)は皆無であった.これも両地区に「説教場を」という気運をもたらす要因であった。しかも両地区は、その後の三重県の南勢地方における政治・経済・文化の中心であり、ことに伊勢は伊勢神宮の所在地でもあり重要な拠点であった。以来、126年、道場は多くの有縁の人びとの護念のもと、近・現代日本の激動のなかで、数多の困難に遭いつつも、それらを克服して今日に至った。
 当初[山田教会]の運営は、南勢1組・2組各寺住職の輪番制を執り、詰番を置いて行われていた。その後、昭和5年(1930)寺西信一師を責任者に迎え、昭和49年(1974)8月に辞去されるまで44年もの長期にわたってご苦労をいただいたが、在任中の昭和34年(1959)9月、伊勢湾台風による本堂の倒壊、翌35年(1960)10月、失火による庫裡の焼失など苦難の出来事が続いた。
 昭和49年(1974)11月、米澤隆昭が留守役僧に就任。昭和52年(1977)12月、本堂の再建を門徒大会において決定、加藤幸彦筆頭総代を建設委員長に選任。昭和55年(1980)3月、本堂落慶法要。平成元年(1989)9月、書院・庫裡新築完成。平成4年(1992)7月、隆昭、主管者に就任。平成10年(1998)8月、隆昭、還浄。同年12月、米澤典之、主管者に就任。平成11年(1999)10月、主管者就任奉告・鐘楼門落慶・親鸞聖人御生誕八百年慶讃・蓮如上人五百回御遠忌、各法要併修。
 このようにして「山田教会」は、門信徒各位の物心両面にわたる絶大なご協讃により、次第に真宗仏教の道場としての体裁と機能を整え、教区における伝道教化にも資することができるようになった。まことに有難く慶ばしい次第である。
 さて、いま私たちは南勢1組・2組の寺院各位の承認を得て、従来の「山田教会」の名を改めて「常照寺」と称することになったのであるが、今後は当時の前身である「山田教会」設立の願いを継承し、真宗門徒の自覚に立って自信教人信の誠を尽くし同朋社会の顕現に努めることを決意するものである。

平成15年4月1日

常照寺 住職 米澤典之